創立 | 1956年1月23日 |
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認証 | 1956年2月13日 |
事業所 | たてやま温泉 夕日海岸昇鶴内 〒294-0047 千葉県館山市八幡822 TEL: 0470-23-8100 / FAX: 0470-23-8101 |
例会場 | たてやま温泉 夕日海岸昇鶴 TEL: 0470-23-8111(代)/ FAX: 0470-23-8110 |
例会日 | 水曜日(12時30分〜13時30分) |
所在地域 | 館山市・南房総市及びその周辺 |
会員数 | 館山RC会員数(6月末)56名 |
当クラブ会員平均年齢 | 61.98歳 |
所在地域の紹介
館山市
冬暖かく夏涼しい自然に恵まれた館山市は、およそ400年前の天正16年、里見義康が居城を築いてから世に知られるようになり、安房地方の中心的な城下町として栄えました。
その後江戸時代初期、里見氏が改易されてからは、幕府の公領、諸侯の私領、旗本の采地などとなり明治を迎えました。
明治4年廃藩置県によって本市は木更津県の所管となりましたが、明治6年に木更津県が廃止されてからは、千葉県の所轄に属することになりました。明治22年市町村制の実施によって町村合併が行われ、現在の館山市域は北条町、館山町、豊津村、西岬村、神戸村、富崎村、豊房村、館野村、九重村、凪原村、船形村となりましたが、明治26年1月凪原村の那古地区は、門前町として房州一の繁華街であったため町制を敷き那古町と改称、さらに明治30年には港町として栄えた船形町も町制を施行しました。
館山町と豊津村とは、組合組織によって自治制度を執っていましたが、大正3年4月合併、新たに館山町を設置しました。昭和8年4月館山町、北条町の合併で館山北条町が発足、さらに昭和14年11月3日館山北条・那古・船形の3町を廃止し、その地域をもって市制を施行し、初めて館山市が誕生したわけです。昭和29年5月3日市町村合併促進法によって、西岬・神戸・富崎・豊房・館野・九重の6ヵ村を合併、ここに現在の館山市が実現しました。
本市は地理的歴史的背景から、明治11年北条に安房郡役所が設置されて以来、安房地方の政治、経済、文化等あらゆる面の中心地として繁栄してきましたが、昭和5年館山航空隊の開隊、さらに戦時中は洲崎航空隊、館山砲術学校が相次いで置かれたことにより、軍事的枢要の地という色彩を強めてきました。しかし、終戦と共に軍部から解放され、昔の静寂さを取り戻し、その後昭和28年海上自衛隊館山航空隊が設置されましたが、水産基地、観光都市へと移行してきました。
館山湾は別名「鏡が浦」と呼ばれ、波静かな天然の港湾であり、また古くからカツオ漁に欠くことのできない餌イワシの供給地として全国的に有名で、他府県漁船の来泊もきわめて多く、いつも活気にあふれています。
その上気候温暖なため、江戸時代から白砂青松の地として各地に紹介され文人墨客の滞在も極めて多く、これらの人々は現在の避暑避寒に来房する多くの観光客の先駆を成したといえましょう。
自然に恵まれた当地方は、昭和33年南房総国定公園に指定されました。その範囲は5市12町におよび、海岸線190kmの内31.5kmを持つ館山市は、昭和36年12月長寿村として有名な西岬の見物を中心とした地区が国民休暇村に指定され、昭和48年には西岬地区南側地帯と神戸地区の一部が自然休養村の指定を受けています。このように本市は美しい海や野山の自然と歴史の中で醸成された伝統文化を基礎に、生活基盤の整備や福祉の充実、教育・文化やスポーツの振興などに力を注いできました。まさに21世紀を迎えた今、平成19年7月には東関東自動車道館山線が全線開通し、安房地方の長年の課題であった半島性からの脱却が図られました。このような歴史的転換期を迎え、本市が持っている恵まれた自然を最大限に生かして、首都圏の海洋性リゾート地としての役割を担うべく積極的に施策を展開すると同時に、若者が居住し、魅力的で活気があり、首都圏の一部機能を担う南房総の中心都市としてのまちづくりを推進し、「ふるさと」館山の発展に努めています。
南房総市
1. 位置・地勢
本地域は、房総半島の南端に位置し、北側には県下最高峰の愛宕山(408m)をはじめ、富山(393m)等300m以上の山が連なっています。西側には東京湾、東側及び南側には太平洋と3方を海に囲まれ、その海岸線は、南房総国定公園に指定されています。
また、首都東京から100km圏に位置し、時間距離2時間程度、県庁所在地の千葉市までは1時間30分程度の時間距離にあります。
平成9年に開通した東京湾アクアライン、平成16年に開通した一般国道127号富津館山道路に続き、平成19年7月には東関東自動車道館山線が開通し、東京圏からの時間距離の短縮により半島性の解消が図られました。
気候は、沖合いを流れる暖流の影響により冬は暖かく夏は涼しい海洋性の温暖な気候で、一部無霜地域を
有しています。
2. 歴史
本地域が位置する安房地域は、718年に上総国から分かれ明治初期まで安房国と呼ばれていました。かつては多数の荘園が存在しており、これらは中世末まで統治者の交代を繰り返してきましたが、戦国時代に入り、15世紀中頃に里見氏が安房統一を果たし、戦国末期に館山城を築城して安房国統治の拠点としました。
しかし、その後里見氏は、江戸幕府による全国支期体制の確立により、1614年に改易され、以降この地は旗本領、天領、小大名の領地として分割統治されました。
近代に入り、明治11年の郡区町編成法施行により、郡制を施行、明治30年には「交通の便が相互にあり、且つ民情風俗に大差がない」という理由から、安房郡、平郡、朝夷郡、長狭郡の四郡を合併して、現在の安房郡の前身となる「安房郡」が形成されました。
そして昭和30年前後に相次いだ町村合併を経て、平成18年3月20日、7町村が合併し南房総市となりました。
館山ロータリークラブ宣言
奉仕の理念と実践を学ぶことを目的に集まった仲間が、相互の信頼と親睦を深めるため、次の宣言をする。
1. 館山ビジョン
(1) 館山ロータリークラブの歴史と伝統を守りながら、時代の変化に柔軟に対応するクラブとしよう。
(2) 会員一人ひとりが相互の理解と信頼に努め、一層の親睦を深めるクラブとしよう。
(3) 我々の地域を大切にし、地域活性化を目指すと共に、地域活動への積極的な参加と認知活動を活発に行うクラブとしよう。
2. 中長期の活動指針
(1) ロータリーの伝統的な職業奉仕観を尊重し、日本独自の文化を踏まえながら職業奉仕の理念及び実践を学ぶ意見交換の場を設ける。
(2) 社会奉仕及び国際奉仕に対する中長期の奉仕計画を策定するとともに、行政や他の奉仕団体と積極的な情報交換・交流を図り、奉仕プロジェクトを推進する。
(3) 青少年ならびに若者が社会奉仕及び世界平和と異文化の理解を深め育むため、国際ロータリーの諸活動や地域活動への参加を推奨する。
(4) 五大奉仕部門及び特定の分野を担当する委員会を設けるための会員数を維持するものとし、退会防止と相応しい会員の加入に努める。
(5) 会員相互の親睦を深めるため例会出席を奨励するとともに、出席規定免除者・長期欠席者に対するフォローを随時実施する。
(6) 会長・幹事・各委員長へのバックアップ体制を形成し、委員会ごとの職務集中を防ぎ、相互信頼・エンゲージメントの育成に努める。
(7) 五年ごとの周年記念事業等が円滑に実施できる体制を整え、実施計画を策定する。
令和6年(2024)4月3日宣言